前回では、「分裂生成」という考え方を見てきました。重森的な定義によると、「分裂生成」とは「ふたりの人間またはふたつの集団の間に、溝ができていくこと」「人(集団)と人(集団)が対立していくこと」「人(集団)と人(集団)の仲がどんどん悪くなっていくこと」というものでした。
また、「分裂生成」のタイプには、対称型と相補型のふたつのタイプがあるということでした。「対称型の分裂生成」は、ふたりの人間もしくはふたつの集団が、お互いに同様の反応を示し合ってしまい、両者の間に緊張が高まっていくこと。一方、「相補型の分裂生成」は、ふたりの人間もしくはふたつの集団が、お互いに補い合うような反応(凸凹的な反応)を示し合ってしまい、両者の間に緊張が高まっていくこと、でした。
今回は、「分裂生成」が引き起されるメカニズムについて考えてみたいと思います。前回では、ただ単に(1)「分裂生成」という考え方と、(2)そのふたつのタイプと、(3)「分裂生成」の食い止め方、の3点について表面的に解説しただけでした。しかし今回は、もっと突っ込んで、「分裂生成」が成立するために必要不可欠な要素、「分裂生成」をそもそも用意するもの、または、「分裂生成」を引き起こす要因、について見ていきたいと思います。
「分裂生成」が起きるためには、なにが必要なのでしょうか。答えから先に言ってしまえば、それは「コンテクスト」だと言えると思います。「コンテクスト」が「分裂生成」が起きることを可能にするということです。
それでは「コンテクスト」とは一体何なのでしょうか? てもとにあった広辞苑(第五版)で調べてみると、「コンテクスト」は「文章の前後の脈絡。文脈。コンテキスト。」と説明されています。
いまいちピンとこないので、上記の説明文を何度も読んでみます。「文脈」という言葉に目がいきました。そこで試しに、この「文脈」という意味ありげな言葉も広辞苑(第五版)で調べてみます。すると、「文脈」は「文中での語の意味の続きぐあい。文章の中での文と文との続きぐあい。比喩的に、筋道・背景などの意にも使う。」と解説されています。
「筋道・背景」といった言葉だとなんとなく理解できるような気がします。たとえば、私たちは、普段の生活において頻繁に、「物事は筋道立てて話すように」と言われたり、テレビのニュースから、「事件の背景にはうんぬんかんぬん」というセリフを聞いたりします。意図しているかそうでないかはともかくとして、これらのセリフの話者が目標としていることを、具体的に詳しく言い換えるならば、次のような文章になると思います。
「出来事だけをポンと取り出して見せるのではなく、必ず他の出来事と関係付けて提示しよう」
上記のことは、英語の文章を訳していたりすると、ものすごくよく分かります。英文を訳すときに、単語ひとつだけに注目したのでは、正しく訳すことはできません。ひとつの単語は、周囲の単語との関係において見なければ、的確に訳せないのです。まさに、「出来事(単語)だけをポンと取り出して見るのではなく、必ず他の出来事(単語)と関係付け」なければならないのです。単語は、周囲の単語と関係付けなければ、動詞なのか副詞なのか、形容詞なのか決定できないし、その単語に該当する日本語を特定することもできません。ある単語を訳すときには、その単語を周囲の単語と正しく関係付けることが重要になってきます。この関係付ける作業をすっとばして、単語の意味を確定してしまうと、読んでも全然理解できない変な日本語を作ってしまうことになります(重森はよくやります)。
しかし、どうすれば、単語と単語を正しく関係付けることができるのでしょうか。単語と単語を的確に結びつける作業をするといっても、どうしたらそれができるのか見当がつかないように思います。
そこで登場するのが「コンテクスト」です。「コンテクスト」こそ、単語と単語の関係付けの仕方を教えてくれるものです。いや。むしろ「コンテクスト」とは「物事と物事の関係付け方の見本」と呼べるものかもしれません<注1>。
「コンテクスト」をいちはやくゲットすることが、英文読解を行う際の鍵になると思います。そのため、英語論文を訳すときは、要約がついていれば、それをまず先に読むべきだと思います。なぜなら、要約は論文全体を短くまとめたものだからです。要約には論文の内容が完結にまとめられているので、それをまず先に把握すれば、これから出会う単語ひとつひとつをどのように結びつければいいのか見当がつきます。
しかし、「コンテクスト」は要約を読んだだけではゲットできないとも言えます。むしろ、「コンテクスト」を手に入れることが不可能な場合が多いと思われます。
どこにも「コンテクスト」が見当たらないため、単語と単語を「正確に」関係付けることができず、単語の意味を「正確に」突き止めることができなくなるという具体的な事例を示したいと思います。たとえば、次のような英文があったとします。
He felt ill at ease in his father's company.
これを和訳せよ、と言われたら、きっとこういうふうに訳せると思われます。
「彼は彼のお父さんの会社で、安心して病気になった。」
文法的には間違ってはいない訳だと思います。しかし、この英文の「正解な」和訳は実は「彼は父の前に出ると、きゅうくつに感じた。」となるそうです(森 1997:174)。
長い間英語の先生をしているという森氏は、上記の誤訳についてこう述べています。
「illといえば、なんでもかんでも「病気」と思うのが、そもそも、まちがいのもと。この場合のillは副詞で、だいたいhardlyあるいはscarcelyに等しく「(ほとんど)・・・・ない」の意味だ。(中略)at easeは「くつろいで、ゆったりして」。companyには、もちろん「会社」という意味もあるが、この場合は「同席、同座」の意味で、in his father's companyは、「彼の父と同席すると → 父といっしょにいると → 父の前に出ると」の意味になる。」(森 1997:174)
なるほど、と思います。単語にはさまざまな意味があるので、英文を訳すには注意が必要だとあらためて実感しまくりです。
しかし、ここでは、単語の意味を決定するために必要不可欠な「コンテクスト」が明示されていません。森氏は「この場合は…」という言い回しをしていますが、この場合とはどの場合なのか、ちゃんと書いていないように思います。単語の意味をひとつに決定する際に、重要な案内図となる、単語と単語の「関係付け方」、すなわち「コンテクスト」が、どこにも見当たりません。しかしそれにもかかわらず、たとえば森氏はillとfeltを副詞と動詞として関係付けて、前者を「(ほとんど)・・・・ない」、後者を「〜と感じた」という意味に和訳しています。
確かに最初の和訳は正しい訳とは言えないかもしれません。てもとにあった辞書で調べてみると、feel ill at easeという単語のまとまり自体に「落ち着かない」という意味があるようです。
しかし、最初の和訳が絶対的に間違っているという積極的な理由も示せないように思います。森氏は、最初の和訳を、誤訳だとしますが、その根拠は示していません。そして一方的に後者の訳を正しいとみなしているように思えます(もしかしたら重森の語学力に問題がありまくりの可能性も十分考えられます。重森は英語を読むときの掟、前提、ルールのようなものをすっぽかしているのかもしれません。誰か英語に詳しい人がいたら教えて下さい)。
森氏はなぜだか分からないけれど、illを「病気」ではなく「(ほとんど)・・・ない」、companyを「会社」ではなく「同伴」と訳してのけました。この作業には、森氏の社会的常識、大学受験業界という世界の掟、のようなものが深く関与していると思われます。しかし、それらについて森氏は一切言及していません。「正確な」和訳をする際に森氏が動員・参照したこれらこそ「コンテクスト(関係付け方)」と呼びうるものだと重森は考えます。「コンテクスト」は、いわゆる私たちがよく使う「常識」とか「当たり前」という言葉で指し示される範疇のものなので、わざわざ丁寧にドーンと示されることはない、と言えるのではないでしょうか。
さきほどの英文は東京大学で出題されたものだそうです。もし、あの英文の意味を「正しく」理解しようとするならば、受験生は次のことを把握していなければならないと言えると思います。
いわゆる日本国内で通用する社会的常識。さらにいえば、ある特定の地域における父子関係に関する知識(父親と息子の在りかた)。そして大学受験業界の常識(illは名詞だけでなく副詞としても訳せ)。
以上に見てきたように、「コンテクスト」という言葉は、「筋道・背景・文脈」という意味と同じものであると理解したらいいと思います。「コンテクスト」というのは、ある特定の出来事と出来事を結びつけるために、動員・参照されるもの、物事の「関係付け方」、と理解したらいいと思います。
このことは、当たり前といえば当たり前かもしれません。
私たちは、日常会話をするときに、他人が口にした言葉や、他人が自分に示した動作をどうやって理解しているでしょうか。事象(他人の言動とか単語とか)は、なんらかの「コンテクスト」に基づいてしか理解することができないと思われます。ていうか、なにか(他人の言動)を理解するためには、絶対になんらかの「コンテクスト」に依拠せざるを得ないのではないでしょうか。「コンテクスト」を参照もしくは動員しなければ、私たちはなにも理解することができない。そう断言することができると思います。
さっきから「コンテクスト!コンテクスト!」と重森は騒いでいますが、これは騒ぐだけの価値があることだと思います。「あるなんらかの「コンテクスト」に基づいて、出来事を理解する」ということはむちゃくちゃ当たり前のことなので、「そんなの日頃からみんなしているよ。単語の意味は「コンテクスト」とのかねあいで決まるなんてことは当たり前の事実。いちいち指摘すんなよ。」と、突っ込みがきそうです。
しかししかし、私たちはこの当たり前のことを忘れてしまいがちではないでしょうか。「コンテクスト」の存在と、それに基づいてなんらかの理解が達成されているということは、あまりにも当たり前のことでありすぎて、かえって意識されることがないように思われます。このことに意識的になれることは滅多にないので、我々は密かになんらかの「コンテクスト」にもとづいたうえで、他人にむけて「一方的かつ無造作に」言葉を投げかけ、もしくはなんらかの行動を示し、そして他人も目の前に示された言葉や行動の意味を、自分だけが参照することができる「コンテクスト」に基づいて、「一方的かつ無造作に」理解しているのではないでしょうか。
ここで、「コンテクスト」というものの重要性をこれでもかこれでもかと思い知らされるような事例を、取りあげてみたいと思います。
■思い込み野郎と可憐な美少女vol.2
その昔、「思い込み」の激しい男がおりました。男はむっちゃ素直で美人な女性とお付き合いをしておりました。遠距離恋愛をしているとはいえ、ふたりは相思相愛で、なかなかハッピーな日々を満喫しておりました。
しかし、ある日、男は気づきます。ていうか「思い込み」ます。「もしかして自分は彼女に依存しているのではないか?」と。彼女なしの人生は考えられないという精神状態だった男は、悩みまくります。
依存はいけない。しかし、自分は彼女に確実に依存している。それならば別れなければならない。それに自分は、彼女のことは好きだと胸を張って言えるが、いったい自分は彼女の体が好きなのか、それとも、孤独感を埋めてくれるから彼女が好きなのか、美人だから好きなのか、よく考えてみると分からなくなります。
悩み苦しんだすえ、そしてついに夏の終わりのある季節に、男は彼女の住む町に別れを告げに行くのでした。そして男は彼女に会って、こう言います。
「別れよう。ひとりの人をずっと好きでいられるなんてできないよ。」
彼女は静かに頷きます。男はつらいながらも自らの意思を伝えることができたことに満足しています。
こうして二人は別れることになりました。
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はい。かなりへんてこりんな展開だと思われます。上記における男のセリフはパッと見て意味が分かりません。しかし、このセリフを発した男の意図は実は次のようなものでした。
「人はひとりの人をずっと好きでいられるなんてできない。自分以外の人をあなたが好きになる可能性はないわけではない。だから、いつか自分はあなたに振られてしまうかもしれない。振られることを恐れるような人間は依存野郎だ。依存野郎と一緒にいると相手は不幸になる。そして、実際に今、自分はあなたに振られる可能性をかなり恐れている。自分はまさしく依存野郎だ。依存は断ち切らなければならない。このままだと、あなたも不幸になる。別れなければ。そしてそうすることによって自分も人間的に強くなりたい。だから、別れよう。」
すなわち、男は、自分の頭の中で確かに交錯していた、これらの長々とした文章の中から、「ひとりの人をずっと好きでいられるなんてできない」という文章と、「別れよう」という文章「だけ」をピックアップして、このふたつのセリフ「しか」実際に口にしなかったのでした。この言葉足らずの説明不足のコメントを聞いた彼女は、次のように解釈したそうです。
「男には別の好きな人ができた。だから今、別れを切り出しているのだ。」
言葉はどのように他人に理解されてしまうか分かりません。人は、事象を自らが想定する「コンテクスト」に基づいてしか理解できないからです。だから、自分が口にした言葉が、どのような背景を背負っているのか、どのような「コンテクスト」のもとでしぼりだされたものなのか、他人にしっかり分かるように、話者はちゃんと詳しく話さなければなりません。他人に自分の言わんとすることを、出来るだけ分かりやすく詳細に伝えようとすることは大事なことなのです。
なんか、当初の目標だった「「分裂生成」が引き起されるメカニズムを明らかにする」ということから、話が大幅にずれていっているような気がします。「「分裂生成」が引き起されるメカニズムを明らかにする」ための前段階として、話しておくべき「コンテクスト」という言葉の意味について解説するのに、だいぶ時間をくってしまいました。とりわけ、「人間がコンテクストに基づいて事象を理解している」ということの重大さ、のっぴきならなさを伝えるために、ちょっと暴走してしまったような気もします。
文章は夜中に書いてはいけないと言われますが、まったくその通りだと思います。
次回は、今回押さえた「コンテクスト」という考え方を踏まえて、「分裂生成」が生じているその瞬間に一体何が起きているのか、詳細に見ていきたいと思います。そして、「コンテクスト」というものが、世界の見え方とどのように深く関わっているのかについて、ベイトソンが使う「物語」と「学習2」という考え方を手掛かりにして、考えていきたいと思います。
参考引用文献
森一郎,1997,『試験にでる英単語 実証データで重大箇所ズバリ公開』,青春出版社
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<注意1>
(重森による「コンテクスト」の定義はあやふやです。書いている本人が、「物事と物事の関係付け方の見本」という言い回しと「コンテクスト」という言葉を、どう関係付けたらいいのか分からず悩んでいます。ベイトソンをもっと読み込む必要があります。しかし、ここでは、なんらかの手がかり、背景、すなわち「コンテクスト」を「物事と物事の関係付け方の見本」と同じものとして、暫定的に扱っていきたいと思います。)