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第十二回/性欲といぶし銀的な向上心のあいだで

■ベイトソン好きの引きこもり

今回はとうとう最終回です。重森が、これまで11回にわたって書いてきたことを、そろそろまとめたいと思います。

もうすでに何度も述べさせていただいているので、皆様は十分ご理解しているとは思いますが、重森は、コミュニケーションにめちゃめちゃ不安を感じている人間です。

重森はいわゆる対人恐怖の激しい引きこもりの男、といえます。今風です。人が怖い、ということはつまり、コミュニケーションすることが怖い、ということです。

で、そのような状況になぜ自分はいるのか? どうすればこのような状況から脱出することができるのか? という疑問を持ち、重森は、これまでいろいろな本を読んできました。ひとえに、重森は、自分自身が感じる「生きがたさ」から逃れるために、人類学という学問を学んでおります。

そして、人類学の分野には、人間関係(対人関係)について考える際に非常にためになる知識がありました。それがこれまで紹介してきたグレゴリ―・ベイトソンという人類学者の業績です。「分裂生成」「学習U」「ダブル・バインド」といった考え方は、日常生活を他者とともに送っていく上で絶対に遭遇してしまう状況を、的確に切り取り、問題化していると思います。

ベイトソンの本を読んだおかげで、重森は幾分楽になりました。それまで重森には「自分は嫌われている」「他人は自分を憎んでいる」「他人は自分を変に思っている」「他人は自分を思い通りに支配しようとしており、自分はそれにはむかえない」という確信がありました。この確信はリアルです。そして、このような確信は、他人を前にした重森を極度に緊張させ、頭を真っ白にさせます。肩もこるし、まぶたとか腕が痙攣するし、道を歩いていてこけました(←つーか、バリバリ変な人ですね。これなら間違いなく嫌われそうです)。

しかし、今では、これらの確信を「思い込み」として受け取ることができます。昔のように顔面蒼白になってただただ立ち尽くすのではなく、今では、「「思い込み」にのまれてたまるか!!」と闘うことができています(←闘っている最中の重森は、はたからみると、大げさなジェスチャーと、ふりしぼって出しているような劇画タッチの声で他人に接するので、相変わらず「変な人」という印象を皆に与えているようです)。

重森は今でも「思い込み」に呪縛されたままです。今でも、上記のような「思い込み」は十分リアルに迫ってきます。しかし、この恐怖を重森は、いくらか突き放すことができるようになりました。ベイトソンの本を読み、人間というものの性質を頭の上で理解したつもりになることができたからでしょうか。

ベイトソンの本を読むことは、絶対的な処方箋にはなりません。しかし、人間という生き物が、外界を認知するその仕組みと、そのことによって引き起こされる現象が、これでもかこれでもかと詳細に分析されているので、その知見を参考にして、重森が直面しているキツイ状況に対処するための有効な作戦を、そこから引き出すことが出来ます。

「キツイ状況に対処するために有効な作戦」とは、本当に些細なことです。

(1)他人には笑顔で接する(相手を最初から憎まない、同様に、相手は自分を憎んでいると決め付けて考えない)。

(2)他人の言葉を自分勝手に解釈しないで、ちゃんと相手が依拠しているコンテクストに思いをはせたうえで、理解しようと努める。

(3)自分の感情・判断を絶えず疑う。それが得体の知れない不健康な「思い込み」にもとづいて生じたものなのか、常にチェックする。

(4)あくまでも相手が「話したこと」だけを手がかりにして、相手が伝えようとしていることを理解しようと努める。

(1)の作戦を実行すれば、「逆の分裂生成」を引き起こすことが出来ると思われます。笑顔で他人に接することは営業や接客業の基本とも思われます。しかし、この作戦は、もし重森の演技が下手な場合、相手をダブル・バインドに陥れる可能性があるので、諸刃の剣だとも言えます。この点については、どうすればいいのかいまだに分かりません。この問題については、もっと考えてみたいと思います。

(2)の作戦を実行すれば、無用な「分裂生成」を回避することが出来ると思われます。重森はともすると、他人の言動を自分自身への攻撃として勝手に解釈してしまいます。自分を呪縛する「思い込み」のなすがままにならないためにも、(2)の作業は必要な作業です。

(3)これも「分裂生成」防止に役立ちます。

(4)これも「分裂生成」を防ぐのに役立つと思われます。

以上に述べてきたよっつの作戦を駆使して、重森は現在、人と接しております。

しかし、問題はまだまだあります。

■朴念仁(ぼくねんじん)としての重森

重森は自分の感情や判断を努めて疑っているので、普通の人ならスムーズに運ぶはずの会話をせず、普通の人なら示すはずの態度を見せることができていないと思われます。「感じるな、考えろ!」的な生き方をしているので、普通ならばするであろう常識的な反応を、他人にたいして返すことができなくなっているようです。

たとえば、これはあくまでも事実にもとづいた例え話ですが、綺麗な女性が重森に近づいてきたとします。この女性は、重森のクラスメートで、バス停でバスを待っている間、おしゃべりをする仲なのですが、おしゃべりをする際にこの女性はいつも、重森にかなり密着して立ってくるとします。

重森はとっさに思います。「この人は私のことが好きに違いない」

はい。この時点で「思い込み」炸裂中といえます。自分の感情・判断を疑わなければなりません。そこで重森は自分にものすごく近づいてくる女性を次のように解釈しなおします。

「この人は、対人距離が比較的短い人なので、私にこれぐらい引っ付いてきたとしてもことさら特別な意味はなく、この人にとってはこうすることは普通のことなのだ。全ての人にたいしてこの人はこのような距離感で接しているのだ」

ナイス「思い込み」防止、です。見事にストーカー野郎になるのを防ぐことができました。女性の動作を勝手に解釈していたのは重森です。女性はまだなにも語っていません。重森にたいして言葉を発していません。言葉を発してからこそ、意味の解釈は始まるのです。それ以前に、他人の考えていることを予想してはいけません。そんなことをすると、すぐに「思い込み」が発動してしまいます。

このように、重森は自らを縛る「思い込み」が動き出すのを、極力とめようとしています。

重森は言葉に信頼をおきます。もっと言えば、他人が話した言葉が織り成す論理に信頼をおきます。あくまで相手が喋ったことを、冷静に正確に聞き取り、自らの勝手な「思い込み」を作動させずに、理解しようと努めています。

しかし、重森は「鈍感な人」だとか「空気が読めない人」だとか言われます。周囲の人々から「意思疎通ができない不思議な人」と思われています。「行間を読むことができないこと」で有名です。「何を考えているのか分からない人」とみなされて、異邦人異邦人とよく言われています。これは、重森が言葉にしか注目せず、相手の表情とか身振りとか口調とかを努めて無視するからだと思われます。

実は、だいぶ後で分かったことなのですが、重森にえらく密着して立ってくる女性は、重森に好意を持っていた、ということでした。「思い込み」防止もほどほどにしたいと思います。自分に好意を持っている人がそれとなく示した動作の意味を、無視するのは、損な性質だと思われます。「もったいねー!」と後悔することしきりです。

■根本的な問題

どうも重森はギクシャクしております。有効な作戦を使っている割には、周囲の人々に違和感を感じさせているようです。

次のふたつのことに思い当たりました。重森が他者を前にしたときに感じる恐怖、他者とコミュニケーションをすることそのものに対する恐れは、(1)なんらかの不健康な「思い込み」に囚われていること、(2)「思い込み」に囚われているのではなく、逆に、どのような「思い込み」にも囚われていないこと、のどちらか、もしくは両方に起因するのではないか、と。

(1)の具体例は、たとえば「自分は人に嫌われている」という「思い込み」です。最初からリアルにそう感じてしまっているので、人と接するのが億劫になります。

(2)の具体例は、なんでしょう。混乱状態にいるといえそうです。緊張しすぎると、頭が真っ白になってただただ固まってしまうので、そのような自分の状態が、相手にどのような印象を与えるのか気になってしまい、人と接するのが億劫になると思われます。

そして、今では、(1)の状態を回避するために始めた「思い込み疑おう運動」が裏目に出ているような気がします。

これはいろんな人から言われることなのですが、重森はやはり緊張しすぎだそうです。傍から見るとビクビクしているそうです。びびりすぎているそうです。

なんとかして人をいたずらに恐れて縮み上がったりしないような人間になりたいです。しかし、どうすればいいのか。今でもよく分からないのです。

順番的には、上記の(1)の要因が、(2)の状態を作り出しているのではないかと考えております。やはり「思い込み疑おう運動」は継続するべきだといえそうです。

■結論

実は、11回にわたってぐだぐた述べてきたことは、あくまでも推測もしくは仮説にすぎず、どうして重森は人を恐れるのかという問いの回答は、いまだ見つかっていないのです。

ベイトソン流に言えば、「学習U」の結果、埋め込まれた不健康な「コンテクスト(関係付け方の見本、物語)」が、重森を苦しめているといえます。そして、この「コンテクスト(関係付け方の見本、物語)」を疑い、その呪縛力から離脱することができるようになるためにも、重森は良識あるセラピストのような他者から冷静な突っ込み(お前、変な「思い込み」もっているよ)をいただいたほうがいい、ということになります。

頭では分かります。上記の論理はよく理解できます。しかし、なかなか「思い込み」から逃れるのは難しいです。セラピスト的な他者に、丁寧に「思い込み」を指摘されても、なかなかそれから自由にはなれません。相変わらず、道を歩くときは緊張します。

ちょっと重森は、完璧な健康状態を目指しすぎているかもしれません。完璧な健康状態などないのに、自分の苦しみはメガトン級だぜ痛い痛いと、甘えすぎているように思えます。

そのような甘えを読み取ったからなのか、重森に、「自意識過剰が人を恐れる原因だ」と述べる人がいます。ひとつの有益な突っ込みとして重森はこの助言をありがたく頂戴します。しかし、こう述べた人は「自意識が過剰になるのはなぜか?」という問いには答えてくれません。そして、自意識過剰が仮に対人恐怖を引き起こす原因だとしても、自意識過剰を無くす方法については何も教えてはくれません。だから、自分で考えるしかなかったのです。

でも、段々疲れてきました。もういいって感じ。外に出て、前から人が歩いてきて、それを見て、緊張と恐怖に飲み込まれても、もうほおっておけよ気にするなという、あきらめにも似た感覚を最近覚えます。

対人恐怖からくる他人との接触の減少は、友人だけでなく恋人を作る機会をも減らします。これは悲しいです。しかし、友達が欲しい欲しいとねだるのは幼い気がします。もうあきらめました。性欲も自分で処理できるし。。。

ていうか、一番キツイ問題は、やはり性欲だったりします。これは苦しい。重森は自分の性欲を満たせるようになるために、自分の対人恐怖を治そうとしている面がおおいにあります。あーむかつくー。悪いのはお前かー!!と、「諸悪の根源」をたまに切り取ってしまいたくなります(←勇気がないのでできませんが)。

しかし、性欲は処理したら処理したで、どうして嘘のように一時的に無くなってしまうのか、不思議です。この文章を書いている今は、結構性欲がたまりまくっているのですが、処理してしまえば、別の境地になって、別の文章を書いてしまうのでしょうね。トホホな気分です。

なにはともあれ、自らの性欲を満たすため、それと同時に、どうにかして死ぬ間際に笑って死ねるために、緊張しつつも、いろいろなことに挑戦するしかないと思います。

性欲といぶし銀的な向上心のあいだで、ぐらぐらと煮えたぎりつつ本を読む重森です。これらのふたつの欲望を原動力にして、これからも生きていくのでしょう。

なんか、ありきたりな内容の結末になってしまいました。最後までひっぱといて、結局、性欲かい!という突っ込みがきそうです。フロイトに負けたような気がします。そして、こんな○コチン野郎に利用されて「ベイトソンごめんよ」とも思います。

■おわりに

いままで読んで頂いてありがとうございました。明快な論理よりも、重森が抱える混乱状況は十分に伝えることができたと思います。この連載を読まれて、なにかお気づきの点などがございましたら、遠慮なくメールででも掲示板ででも重森に突っ込んでいただけたら嬉しいです。

それではまた。




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